ごちうさ聖地巡礼記(44) 〜ストラスブール編〜 ストラスブール大聖堂のまわりを一周
巨大なストラスブール大聖堂の周囲にある道を一周した
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ストラスブール大聖堂
私たちはストラスブール駅から寄り道しながら歩くこと1時間ほどで、ノートルダム・ド・ストラスブール大聖堂 (Cathédrale Notre-Dame de Strasbourg) へと到着した。 ノートルダム大聖堂と言うとパリにある大聖堂を指すことが多いので、こちらはストラスブール大聖堂と呼ばれているようだ。 余談だがノートルダムという言葉は直訳すると「私たちの貴婦人」で、キリ スト教では聖母マリアを指す言葉である。 なので、ノートルダムという言葉はフランス語圏で複数の大聖堂の名前に使われており、ノートルダム大聖堂と名前がついているものはフランスの中だけでも10箇所以上ある(wikipedia)。
この大聖堂は高さが142メートルあり、中世に建てられた現存する建造物では最も高いものであるということである(wikipedia)。 大聖堂の建築は1015年から1439年までのなんと424年間にかけて行われたということだ。 18世紀にはフランス革命の革命家によって大聖堂の尖塔が取り壊されそうになったようだが、ストラスブールの市民の抵抗によって守られたということだ。
大聖堂の正面に来ると、その大きさがよく分かる。 見上げると巨大な尖塔が空に突き刺さっているようだ。
特筆すべきは大聖堂の大きさだけではなく、大聖堂の表面に施された装飾の細かさと密度である。 間近で見ても見劣りしないような細かさの装飾が、巨大な大聖堂の一面に張り巡らされているのだ。 この細かい建築を完成させるために費やされた途方もない年月を想像すると、圧倒されずにはいられないのだった。
大聖堂の前は大聖堂広場 (Place de la Cathédrale) という広場になっており、色々な店が並んで賑わっていた。
広場の左手にはストリートミュージシャンが演奏をしており、まるでお祭りのような賑やかさだった。
教会の右手にはさらに広いスペースが広がっており、こちらはシャトー広場 (Place du Château) という別の広場になっていた。
広場を眺めていると、なんと大聖堂の前にも見覚えのあるプチ・トランの姿があった。 どうやらこの辺一帯で観光列車としてプチ・トランが用いられているようだ。
シャトー広場へ移動し、横から大聖堂を眺めてみると、今度は大聖堂の奥行きの大きさに圧倒された。 奥の建物は正面の塔に比べると装飾の数は少ないが、それでも窓などには細かい装飾が施されていた。
大聖堂の周りを一周
私たちは大聖堂の周りを一周歩いてみることにした。 シャトー広場をそのまま進んでいくと、ラープ通り (Rue de la Râpe) という通りへと続いている。
通りの右側には見事に前庭に花が飾られたホテルがあった。 こんな素敵なホテルに泊まったら気分が良さそうだ。
通りの左側にある建物は大聖堂とは趣が異なるが、それもそのはずで、これは大聖堂に隣接する高校の建物であった。
ラープ通りの突き当たりを左へ進むとエクリヴァン通り (Rue des Écrivains) という道になる。
大聖堂の表側とうってかわって裏道には人が少ない。
通りから右を覗いた景色だ。
エクリヴァン通りを突き当たるとフレール通り (Rue des Frères) という道に出る。
右側を見た景色だ。
私たちは左側へと進んでいく。
左手の建物は神学校なのだが、色違いのレンガが平らに積み上げられて作られた模様が綺麗だった。
そのまま進んでいくと、大聖堂広場へと戻ってきた。
右手には大量のお土産グッズが並んだ店があった。
その奥には、テラス席が並んだレストランがあった。 今日の日差しだと日焼け止めを塗らないとかなり日に焼けてしまいそうだった。
大聖堂に目が行きがちだが、大聖堂の正面にある建物もとても美しい。 特に中央にある赤と水色の建物が気に入った。
正面にある建物の隙間から伸びる道を進んだ先に、フルール・ド・ラパンのモデルになったレストランがある。
大聖堂の正面が見える場所までくると、ちょうど一周してきたことになる。
大聖堂の中に入って見学をしようと思ったのだが、ちょうどお昼の時間帯は正面の扉を締め切っている時間帯で、私たちが滞在している時間の間には中に入ることができないので諦めることにした。 大聖堂は中も非常に美しいと評判のようなのだが、今回見学できなかったのは残念である。 また次に来るときの楽しみということにして、私たちはフルールのモデルとなったレストランへと向かうことにした。